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 石島の実体

 
韓国政府と学者たちが、石島は今日の独島だ、と主張する論理は次の通りだ。韓国の固有語の試みをを借りた解釈だ。
 --固有語の音を当てると石島の「石」は「トル」、「島」は「ソム」だから、固有語で石島は「トルソム」になる。ところで、慶尚道や全羅道の放言で「トル」は「ドク」とも言う。したがって、石島を慶尚道や全羅道の方言で読むと「ドクソム」だ。その「ドクソム」を「独(ドク)という漢字と「島(ド)という漢字を借りて表記すると「独島(ドクト)」だ。--
 この主張もやはり、かなりの自家撞着だ。あまりに貧弱な論理のつなぎ合わせに気が滅入ってくる。客観的に見て独島は、石の島というより岩の島だ。石と岩は違う。したがって石島は、初めから独島とは無関係の島だ。また、特定の音を表記するため文字を借りる借字現象は、ある意味を正確に代弁する文字がないときに現われる現象だ。我々には長い漢字文明圏としての歴史がある。「いしじま」という意味を漢字で「石島」と表現するのは、少しも難しいことではない。「いしじま」は慶尚道と全羅道でも、漢字で表記される際には間違いなく「石島」だった。漢字を知る有識者だったらそのくらい何のことはない文字生活を送っていた。あえて確実でもない方言を借りて「トルソム」に変え、さらに「ドク」に「独」という的外れな漢字を当てて表記する必要はなかった。
 トルソム、すなわち石島が独島とは無関係であることを証明する一枚の地図を提示する。1911年、アメリカのロサンゼルスの同胞たちが出版した李承晩の「独立精神」という本に載っている「朝鮮地図」だ。全国の地名がハングルで表記されている。アメリカの同胞たちの祖国朝鮮に対する懐かしさが込められた地図だと言える。地図12-5は、その「朝鮮地図」と、鬱陵島の部分を拡大したものだ。鬱陵島のすぐ南に「トルド(いしじま)」があるのが分かる。この「トルド」が石島だ。ただ、鬱陵島の東北側になければならない島が南に描いてあるのは間違いと言える。とにかく、勅令41号中の石島が東南87キロの独島(日本で言う竹島)」でないことは、この地図の発見によって大変明確になったと思う。私は、なぜ今まで数多い独島研究者がこの地図に注目しなかったんか不思議に思う。
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 日本の独島編入

 
1883年から鬱陵島で暮らし始めた朝鮮人たちは、遠く東南の海上に漁労に出かけ、そこに独りポツンと存在する島を指して、「独島」と呼び、そう書き残し始めたと推測される。独島を鬱陵島の付属島嶼と考える住民の共同認識も、自然に生じたように見える。しかし大韓帝国の中央政府が、独島を客観的に認知したり、官吏を送り探査したことはなかった。国土の四方の境界を明確にするには、全国を科学的に測量し、その成果を地図にして描く必要があったが、率直に言って大韓帝国の力量と水準を超える仕事だった。その結果1900年、鬱陵島郡域を画定するとき、独島は除外されていた。
 
周知のとおり1905年、日本は独島を自国の領土に編入した。ある契機で独島の履歴を調査し、それが朝鮮王朝に所属していないことを確認してからのことだった。一年後の1906年、その事実を偶然知った鬱陵郡守が、「本郡所属の独島が日本に編入された」と報告したが、中央政府はそれに対し何の反応も示さなかった。すでに日本に外交権を奪われた保護国だったからだ、という弁明は困るのだ。第三国との外交の権利を奪われていたとしても、自らの国土と人民に対する支配権は残っている独自の国家だった。大韓帝国が日本に異議を唱えなかったのは、独島に対する認識がない中、日本の行為を大して重要なことだと思わなかったためだった。
 まさにこの部分が国家間領土紛争の「決定的時点(critikal point)」だと思われる。日本が独島を自国の領土に編入する際、それを認知した大韓帝国は異議を唱えなかった。そのため今日韓国政府が、独島問題を国際司法裁判所に提起しようという日本政府の主張を受け入れられない立場にあるのは、誰もが知っている事実だからだ。率直に言って韓国政府が、独島は歴史的に韓国の固有の領土であると証明する、国際社会に提示できるだけの証拠は、一つも存在していないのが実情だ。(韓国の)読者の皆さんには不快に聞こえるかもしれないが、国際司法裁判所の公平無私な裁判官たちは、そのように判断する。私は一人の知識人として、その点を指摘しないわけにはいかない。

* 筆者、李栄薫氏はこうした後付けのちまちました韓国政府や学者たちの理由には辟易しているようである。これも自家撞着以外の何ものでもなさそうだ。時代時代のその時々で政府の姿勢が変化するという事態は韓国では当たり前のことのようで、法という概念が全く不足しているか欠落したままであることで、国際司法裁判所にでることなど期待できることではなさそうである。日本と韓国の当事者間で結論を出そうとする試みには未来が無いということだろうか。独島竹島は今や韓国民の結束、意思統一への原点と化している、かと言って座して見るだけでは日本の外交姿勢が貶められるのである。