Aminのつれづれなる日記

来し方を振り返りながら日々思うがままに綴る。国内外の旅行、時事問題なども含めて独善的感想も差し挟んでみた。

カテゴリ:趣味の世界 > 船舶

 次の記事は本年5月30日に投稿したもののリメイク版です。行方不明者の一人の若者がサルベージ作業中に機関室内作業室で発見されたということです。これまで、地元の大島漁協のyoutuberが事故直後に警戒船として漁船を現場に派遣されたという動画をアップされていたのを観たことがありました。
 この海難事故の原因は当初から韓国のケミカルアンカー側の港則違反が指摘されていたのでした。航跡が残っていなくても、衝突でできた傷で二隻の船の位置関係が明らかです。どうして報道機関のほとんどが忖度しているのか?事故原因船の船籍を外国籍としているのでしょうか?過去に起こした事故の常習船としてのこの興亜海運所属の「ウルサン・パイオニア号」のことを海の銀座の瀬戸内海の難所を自由に航行させているのでしょう?
 瀬戸内海を航行し、神戸大阪などに向かう韓国籍の貨物船はいちにちに何百隻にもなるといわれています。多くは韓国へ化学製品を輸入するために運用されているようです。コロナ禍中は自由観光の需要は極端に低下してしまったものの、こうした工業製品の貿易では依然として往来は活発なままのようです。政治的には反日不買を叫びながら溜飲を下げているらしいのですけど、実態としては産業界では日本の化学工業品の輸入が途絶することはそれらを基幹材料として成り立つ韓国の輸出立国としての息の根を止めることにもなるのです。2019年7月に発令された輸出管理強化策はそういう意味では有益だったはずです。それを履き違えた解釈しかできない韓国の報道では徴用工(募集工)や慰安婦問題への判決への報復措置だと誤解も甚だしいのです。
 まだ発見されていない白虎の乗組員が居るなかで、三カ月目にして水死した船員が見つかったことはこの事故のことを再び思い出させてくれる契機となりました。冷たい海底で耐えてたこと、ご冥福を祈りたいです。
 今治市の来島海峡付近で某国ケミカルタンカーと日本のRORO船との衝突事故で五倍も大きな日本船が沈没し、船長と二人の乗組員が行方不明となっている。29日現在、三名の捜索は続いているようです。
 それでは、事故の経緯を書いてみようと思います。27日午後11時55分ごろ、ケミカルタンカーは中国より大阪へ向かい、RORO船白虎(びゃっこ)は神戸から北九州の苅田への途上、来島海峡の西方海域で衝突しました。下は地元テレビ愛媛の報道番組と愛媛新聞オンラインをスクショした解説図です。
スクリーンショット 2021-05-29 201250
スクリーンショット 2021-05-29 204424
 上の図の左側の波方沖で航路が交差した辺りで衝突したものとされています。海の上での航法規則では基本的には航路内では右側航行が原則なのですが、来島海峡では潮汐が複雑でもあり、世界中でも稀有な航行規則が課されている変則的航路となっているとのことです。(順中逆西航法)満潮時と干潮時にその通常規則が変更され、上図では上げ潮時に上りのケミカルタンカーは左側へ針路を変更、下りのびゃっこは右側へと変更しようとして、航路が交差したところで衝突事故を起こしたということです。
 下のスクショはマリントラフィックというサイトのもので、事故の起きた当日の午後3時前の状況を示している。
Screenshot_2021-05-28-18-55-07-772_com_0.marinetraffic.android
 びゃっこ(白虎)は神戸のプリンス海運所属の新造船(令和2年6月)11,000屯全長170mの全容です。自動車部品関連のトレーラーシャーシーを主とするRORO船です。会社のHPのびゃっこは下に載っていました。
スクリーンショット 2021-05-29 203500

Screenshot_2021-05-28-18-56-39-476_com_2.marinetraffic.android
 日本船籍のプリンス海運のびゃっこのことはマスコミ報道で詳細が書かれていますが、相手船のことは船籍がマーシャル諸島であることと、船名がウルサン(恐らく蔚山)パイオニアということぐらいです。詳細を検索すると所属は韓国の興亜海運という曰く付きの会社のようです。ヤフーニュースのコメントでは次のような事故歴を見つけることができました。

韓国の興亜海運
1994年 来島海峡グロリア、興栄丸に衝突。
1995年 水島港ケミカルタンカーウルサンパイオニア、鶴藤丸に衝突。
1998年 沖ノ島フンアトウキョウ、漁船 第38對東丸に衝突。
2000年 松山港フンアジュピター、第11金山丸に衝突。両船とも損壊。
2002年 伊予灘ポパン パイオニア、三ッ子丸とちゃぱりとに衝突。
2002年 周防灘フンアバンコク、小型底引き網漁船生福丸に衝突。生福丸船長が死亡。
2002年 粟島フンアウルサン、コンテナ流出事故。船長は玄界灘海難事故の船長
2003年 玄界灘フンアジュピター、第18光洋丸に衝突。死者7名、重軽傷7名。玄界灘海難事故
2003年 玄界灘マサンパイオニア、停泊中の第2悠久丸に衝突。
2004年 播磨灘ヒュンアバンコク操業中の福章丸に衝突。1名死亡。
2021年 来島海峡ウルサンパイオニア、操業中の白虎に衝突。3人不明

白虎側は進路を保持しなければならない
韓国船側は右転かブレーキを掛けて避行しなければならない
(右側から左に横切る船が優先で、この場合白虎側が優先)
運航ルールを守らないと事故が起きる
このルールは大型船は急ハンドルを切っても直ぐには曲がらないから、保持船と避行船の決まりが法律で決められている。

 
ステレオタイプがあってはならないが、これだけ多数の事故事案があるとは驚きです。現在も行方不明者の捜索が続いていることでもあり、出来る限りの不明者発見に至ることを祈念します。びゃっこは海底下60mで逆立ち状態にあるらしい。衝突の原因はいずれ判明するはずです。それにしても韓国側でのこの事故の報道に対するコメントには呆れます。そのうちの一つに「二千数百屯の韓国船がその五倍もある日本船を沈没させた」ことに有頂天なのもありました。

 高松漁港の岸壁に係留されていたと思われる一隻の底引網漁船が何と転覆して船底を晒しているではありませんか。一見してこの漁船は暫くの間使用実態の無い幽霊船では無かったのかも知れません。もともとは水平を保持していたのでしょうけど、メンテナンスが成されてないことで、恐らくはシャフトのシールが棄損して機関室にでも海水が流入して水船状態になり、終には大潮の干潮時にこのような姿を晒すことになったのだと思われます。
 それではどうしてこのような老船が各地の漁港などに係船されているんでしょうか?推測するに、船主たちの高齢化が一番の原因かと思われます。漁業という不安定な職種を選択するほど元気な若者たちは絶滅危惧種と言っても過言では無さそうですからね。一次産業として農業の衰退にも勝るとも劣らないほどの凋落傾向がここにも観られます。瀬戸内の漁業は昨今の海水温の上昇の影響なのか?魚種が入れ替わったり、季節的風物詩でもあった遠浅の沿岸部であれほど盛んであった「イイダコ」も殆ど姿を消してしまいました。また海苔網でも異変が観られるようです。いわゆる「色落ち」で、薄緑色の海苔では競りでも値が大きく下落せざるを得ません。研究機関の調査結果では、瀬戸内海の浄化進展度合いが原因ではなかろうかとのことでした。下水や浄化槽の整備が充実してきたことで、生活用水や雑排水の流入が激減したことで、海水成分のうち燐、カルシウム、カリウム、塩基などが貧栄養化となってしまったらしいです。何事も適度なバランスが崩れるとこのような事態を招くことになると言う一つの実例なのかもしれませんね。
 ところで件の転覆船は恐らく船主には廃棄処分するだけの資力は捻出できないかと思われます。台風など自然災害が発生し高潮の来襲となると二次災害も懸念されます。日本全国の港湾施設内にはこのような放棄された漁船、プレジャーボートが無数にあると言われてます。それは海に限らず家屋でも限界集落などで見られる現象です。放棄される原因の様態は様々かと思いますが、実に困った問題ではあります。どぎゃんかせないかんぜよ!!

IMG_20231127_134954
 

 高松港から女木島、男木島へ雌雄島海運の小さなフェリーが就航しています。背丈に比して全長が短いこともあり不安定な印象をうけるのではないでしょうか?
 女木島も男木島も高松市に属しています。例に漏れず少子化高齢化は限界に達しようとしており、島の義務教育学校は全て廃校となってしまい、高齢者とネコしか見当たらないほどに過疎化がすすんでいるのが実情かと思われます。
 瀬戸芸というイベントが開催されたりしてインバウンド観光客を含めてシーズン中はこの小さなフェリーが満載されることもあるそうです。コロナ禍の期間中にはサムネの赤いフェリーに替わりユニークなデザインの新船が就航しており、目を引いています。
しましまめおん

 2022年4月  
 愛媛県の東予地域、随分と変貌してしまって、昔の面影を知る者にはまるで異国にいるように感じました。  
 特筆すべきは地名が大きく変わってしまったことではないでしょうか。壬生川や丹原も西条市に合併併合されて、東予市というものが消失してしまってます。市の背後には石鎚山系の峰々が輝き、扇状地が海に迫る風情は昔のままではありますけどね。
 折から離岸しようとする貨物船(化学製品輸送船?)を撮ることができました。


 

2022年5月14日 地域ニュースで当日二時間前に「NATCHAN WORLD」が坂出林田港に入港中で昼前には出港するらしいとのことで、急遽高松から坂出に向かいました。30分後には林田港に到着すると黒山(でもないけど)の人だかりが観えました。五分後には舫が解かれて離岸したのでした。
 船速は輸送船にはあるまじき程の高速で、車速では追いつくのは無理かな?と思いながらも乃生岬から大崎の鼻付近まで東に向かうカタマラン艇を遠く玉野方面の視野に入れることができました。

 

このページのトップヘ

いつもお読み下さりありがとうございます。異論反論あるかと思います。ぜひコメントお願いします。