Aminのつれづれなる日記

来し方を振り返りながら日々思うがままに綴る。国内外の旅行、時事問題なども含めて独善的感想も差し挟んでみた。

2020年01月

 朝鮮労働党全国大会が2019年12月末から年を跨いで四日間ほど開催されたという。12月の声明では米朝会談が延び延びになっていることから期限を切っての協議の再開を促したものだったのだが、そのおまけに「ミサイルのクリスマスプレゼント」のことまで示唆したのだから、何かしらの行動があるものと思わされた。が、いつもの通りで汚い言葉による恫喝でしかなかった。あそこまで言いながらの全国集会、例年とは違い、その規模が全く異常なほど盛大、人数だけではあるが、それも四日間も掛けてであった。報道では金委員長は初日は本人そのものだった、しかし、その後はどうもその容姿が少し違うのではないか?健康不安でそれほど長期の会議集会を乗り越えることが出来なかったのではないか?と。
 つまり、北朝鮮国内では何某かの緊迫した状況が起こっているのではなかろうか?1月4日にイラクで殺害されたイラン革命防衛隊の隊長、米軍の綿密なミサイル(ドローン)によりピンポイント的に実行されたと言われている。いわゆる斬首計画が実行されたということであろう。この殺害が金委員長に与えた心的な影響は計り知れないのではなかろうか。新年の国内的な声明も異例にも発せられることがなかったし、全国大会終了後には金委員長、一切その動静を知ることが出来ないのである。まだ他にも異例な出来事があった。正恩委員長の叔父駐チェコ大使の金平一氏が31年間も国外流浪の末に帰国さ(さ)れたというのである。同時に国外駐在大使の全ても召喚されたらしい。特に金平一氏は「自由朝鮮」(2019年2月、ハノイでの米朝会談の5日前に実行された、スペインの北朝鮮大使館へ侵入事件)からの働き掛けが噂されたり、正恩委員長には異母兄弟金正男の暗殺に次いで重要な事案となっていたともされる。
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 正恩委員長にとっては妹の与正(ヨジョン)しかいない、政権周辺の軍部でも暗殺未遂事件がすでに三度も発生したとも噂されている。一昨年の日本海で韓国軍からの火器管制レーダー照射事件でのことを思い出すと、北朝鮮漁船員らは恐らく北でのクーデター計画が発覚したため脱出中に北からの要請で韓国海軍まで追跡拿捕に協力した中で起きた事件だとしても辻褄が合うのである。もちろん、一名の死亡者以外の四名は直ぐさま北へ送還されたということである。むろん、重罪として処刑されたに違いない。その他にも、北からの漁船が韓国EEZ内侵入で拿捕されたのだが、漁船には二人の漁民?が乗っていたらしい、韓国の説明では彼らはその小さな漁船内で18名もの漁船員を惨殺したというのであった。その意味するところは、重犯罪人ということで、その二人も北へ強制送還された、ロクな調査もしないままに。上の二つの事件は文在寅政権の親北政策に符合するわけだ。人権など微塵も考慮されていないということである。
 ここまで書いてみると、果たして朝鮮半島内で一体何が起こりつつあるのだろうか?との思いが募ってくる。過去僅か七十年ほど前、戦乱の最中に有ったわけだが、当事者同士、つまり、南北ともに主体性のない戦いをただイデオロギーの違いだけで覇権を掛けて戦うという覚悟のない傍迷惑な戦いみたいなものを行っただけである。特に北朝鮮は、馬鹿らしいほどの後付けのその王朝の神格化を喧伝してまで誤魔化そうとしていたのである。
 恐らく正恩委員長は、そうした過去史や現在の置かれた国際的な環境の中で、自暴自棄になってしまい、精神的な疲弊から、健康不安も顕在化してしまった。これ以上国政の先頭に立つことが出来ないのではなかろうか。叔父平一氏の帰国、妹与正氏の重職にはその辺の事情が大いに関係あるのではなかろうか。核だけを堅持しながらも米国に見放されるとしたら、窮鼠猫を嚙む、この事態だけは避けないといけないと思う。







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 石島の実体

 
韓国政府と学者たちが、石島は今日の独島だ、と主張する論理は次の通りだ。韓国の固有語の試みをを借りた解釈だ。
 --固有語の音を当てると石島の「石」は「トル」、「島」は「ソム」だから、固有語で石島は「トルソム」になる。ところで、慶尚道や全羅道の放言で「トル」は「ドク」とも言う。したがって、石島を慶尚道や全羅道の方言で読むと「ドクソム」だ。その「ドクソム」を「独(ドク)という漢字と「島(ド)という漢字を借りて表記すると「独島(ドクト)」だ。--
 この主張もやはり、かなりの自家撞着だ。あまりに貧弱な論理のつなぎ合わせに気が滅入ってくる。客観的に見て独島は、石の島というより岩の島だ。石と岩は違う。したがって石島は、初めから独島とは無関係の島だ。また、特定の音を表記するため文字を借りる借字現象は、ある意味を正確に代弁する文字がないときに現われる現象だ。我々には長い漢字文明圏としての歴史がある。「いしじま」という意味を漢字で「石島」と表現するのは、少しも難しいことではない。「いしじま」は慶尚道と全羅道でも、漢字で表記される際には間違いなく「石島」だった。漢字を知る有識者だったらそのくらい何のことはない文字生活を送っていた。あえて確実でもない方言を借りて「トルソム」に変え、さらに「ドク」に「独」という的外れな漢字を当てて表記する必要はなかった。
 トルソム、すなわち石島が独島とは無関係であることを証明する一枚の地図を提示する。1911年、アメリカのロサンゼルスの同胞たちが出版した李承晩の「独立精神」という本に載っている「朝鮮地図」だ。全国の地名がハングルで表記されている。アメリカの同胞たちの祖国朝鮮に対する懐かしさが込められた地図だと言える。地図12-5は、その「朝鮮地図」と、鬱陵島の部分を拡大したものだ。鬱陵島のすぐ南に「トルド(いしじま)」があるのが分かる。この「トルド」が石島だ。ただ、鬱陵島の東北側になければならない島が南に描いてあるのは間違いと言える。とにかく、勅令41号中の石島が東南87キロの独島(日本で言う竹島)」でないことは、この地図の発見によって大変明確になったと思う。私は、なぜ今まで数多い独島研究者がこの地図に注目しなかったんか不思議に思う。
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 日本の独島編入

 
1883年から鬱陵島で暮らし始めた朝鮮人たちは、遠く東南の海上に漁労に出かけ、そこに独りポツンと存在する島を指して、「独島」と呼び、そう書き残し始めたと推測される。独島を鬱陵島の付属島嶼と考える住民の共同認識も、自然に生じたように見える。しかし大韓帝国の中央政府が、独島を客観的に認知したり、官吏を送り探査したことはなかった。国土の四方の境界を明確にするには、全国を科学的に測量し、その成果を地図にして描く必要があったが、率直に言って大韓帝国の力量と水準を超える仕事だった。その結果1900年、鬱陵島郡域を画定するとき、独島は除外されていた。
 
周知のとおり1905年、日本は独島を自国の領土に編入した。ある契機で独島の履歴を調査し、それが朝鮮王朝に所属していないことを確認してからのことだった。一年後の1906年、その事実を偶然知った鬱陵郡守が、「本郡所属の独島が日本に編入された」と報告したが、中央政府はそれに対し何の反応も示さなかった。すでに日本に外交権を奪われた保護国だったからだ、という弁明は困るのだ。第三国との外交の権利を奪われていたとしても、自らの国土と人民に対する支配権は残っている独自の国家だった。大韓帝国が日本に異議を唱えなかったのは、独島に対する認識がない中、日本の行為を大して重要なことだと思わなかったためだった。
 まさにこの部分が国家間領土紛争の「決定的時点(critikal point)」だと思われる。日本が独島を自国の領土に編入する際、それを認知した大韓帝国は異議を唱えなかった。そのため今日韓国政府が、独島問題を国際司法裁判所に提起しようという日本政府の主張を受け入れられない立場にあるのは、誰もが知っている事実だからだ。率直に言って韓国政府が、独島は歴史的に韓国の固有の領土であると証明する、国際社会に提示できるだけの証拠は、一つも存在していないのが実情だ。(韓国の)読者の皆さんには不快に聞こえるかもしれないが、国際司法裁判所の公平無私な裁判官たちは、そのように判断する。私は一人の知識人として、その点を指摘しないわけにはいかない。

* 筆者、李栄薫氏はこうした後付けのちまちました韓国政府や学者たちの理由には辟易しているようである。これも自家撞着以外の何ものでもなさそうだ。時代時代のその時々で政府の姿勢が変化するという事態は韓国では当たり前のことのようで、法という概念が全く不足しているか欠落したままであることで、国際司法裁判所にでることなど期待できることではなさそうである。日本と韓国の当事者間で結論を出そうとする試みには未来が無いということだろうか。独島竹島は今や韓国民の結束、意思統一への原点と化している、かと言って座して見るだけでは日本の外交姿勢が貶められるのである。



 随分と以前の話しでアメリカ映画の「ミクロの決死圏」詳しくは覚えていないのだが、人間に見えない細菌などの恐怖が拡散する、そういうテーマだったと思う。ウィキで調べてみると、1966年に封切されていたらしい。その恐怖が現実的に隣国中国の華中の大都市「武漢(ウーハン)」で起こっていることが、もう遠い世界の出来事とは無視することができないほどのレベルに達しているようで、様々の報道やSNSなどで確認できる。
 中華圏では旧正月の春節を迎えようとするその時に顕在化したコロナウィルスを病原とする急性肺炎は何億人もの国内移動がある季節ということで、混乱が極地に達しているようだ。何と一千万に近い人口の「武漢」での全ての交通機関が遮断され、域内だけでなく、域外とも完全に封じ込められたということだ。中国版twiterの「微博」では当初、武漢と上海市民間での葛藤が昂じていたものの、次第にその矛先が中国政府に向けられるようになり、その拡散が何千万にも達する気配を見せると、直ぐにその書き込みは遮断されたということのようだ。やはり、拡散への対策に抜かりがあった、怠慢ではなかったのか?との非難が囂々だからのようだ。
 中国政府はもう遅きに失したかもしれない。14億人の人口を抑えることは到底出来る訳はない。この拡散は国内だけに封じ込めることにも無理があり、すでにアジアを中心にして世界中に感染者が確認されているようだ。日本国内でも、すでに来日した中国人からの感染とされる事例が数例ほどあるようで、保菌者が解熱剤を服用しながら、各地の観光地で不特定多数の中に紛れ込んでしまうことが現実に起こっているということである。
 下の動画は武漢から発せられた驚愕の事実を訴える若者の姿を捉えたものである。
 

 無知ほど怖いものはない、それならば、無知な人々にはそれなりの対応がなされなければ、拡散はもう防ぎようが無い。今回も、中国の中央、地方政府の行政的な隠蔽体質が、例えば、高速鉄道の事故に際して、その車体を大衆の面前で地下に埋めるというような、もう隠しようが無い、対応を誤ると大きな反政府運動に発展し、習近平の政権も危ういことになるかもしれない。サクラの咲く季節の来日はもうこの時点で消え去ったと言えるのではなかろうか。

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 于山島の終着地

 1881年、日本人が鬱陵島に不法侵入した。これを契機に1882年、高宗は李奎遠を監察吏として派遣し、鬱陵島を詳しく探査させた。1883年からは鬱陵島に人を住まわせた。なんと466年ぶりのことだった。派遣する李奎遠に高宗は「鬱陵島の近所に松島、竹島(日本でいう竹島とは違うもの)、于山島があるそうだが、距離がどれほどなのか調査せよ」と命じた。そしてさらに加えて、「松島、竹島、于山島を合わせて鬱陵島と呼ぶ者もいる。これについても詳細に調べよ」とも命じた。このことから、1882年の時点でも、朝鮮王朝の鬱陵島に対する理解は混乱していたことが分かる。後に鬱陵島から帰って来た李奎遠は、「于山島は見つけることができなかった」と報告した。当時彼が詳しく描いた鬱陵島の地図には、竹島という付属の島はあっても、于山島はなかった。つまり李奎遠は、東南87キロの海の中に浮かぶ岩の島が分からなかったか、分かったとしても、それを鬱陵島の付属とは考えなかったのだ。
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 それでも、于山島に対する幻想は無くならなかった。1899年、大韓帝国の学部が「大韓全図」という地図を製作した。地図12-4はその地図の鬱陵島の部分だ。于山島は鬱陵島の東北に付く小さな島として描かれている。17年前、李奎遠が「竹島だ」と言った、まさにその島だった。今日も「竹島」と呼ばれる島である。先に紹介したように、18世紀以来、いくつかの地図で于山島の位置が鬱陵島の東北に動いていた。そこに何らかの小さな島が実在している、という情報が影響を与えたようだ。とにかく1899年、学部は「大韓全図」を製作しながら、その島を于山島と考えた。17年前、李奎遠が于山島は見つけられなかったと述べた報告は、大きな影響を与えなかったようだ。長い間続いてきている于山島に対する幻想は、簡単に無くなるものではなかったということだ。

 幻想の判明   

 1883年に居住することが許されて以降、鬱陵島の人口は1900年までに1000人に増加した。日本人も多く暮らしたが、それは主にアシカ狩りのためだった。1900年、大韓帝国は勅令41号を出して鬱陵島を郡に昇格し、郡主を派遣した。そのとき、郡の領域を定めるに際し、「鬱陵全島と竹島と石島を管轄する」とした。竹島は今日の竹島(現在日本が言うところの竹島ではなく、鬱陵島のそばの竹島)だ。問題は石島である。これをもって今日の韓国政府や学者たちは独島だと主張している。韓国が独島固有領土説を主張するとき、一つの強力な根拠として提示されるのが、この石島=独島だと言える。果たしてそうなのか?
 それを検討する前に、まずはこの勅令41号によって于山島が行方をくらましてたという事実に注目する必要がある。以後、于山島はどの資料にも現れない。15世紀初めに鬱陵島から人々を引き上げさせて生まれた于山島は、あちらこちらを漂ったあげく、消滅したのだ。その一年前の「大韓全図」まで描かれ続けて来た島だった。その由緒深い島を大韓帝国がそれ以上言及しなくなったのは、それが幻想の島だったことにやっと気づいたからだ。それ以外には解釈できない。私は、大韓帝国の勅令41号は「于山島は幻想の島だ」と公布したのと同じだと考えている。
 大韓帝国は新しい行政区域を宣布するに際し、鬱陵島と付属の島嶼を調査したものと思われる。その結果、竹島と石島を郡域に指定した。竹島は今の竹島そのものだ。竹島以外で今日鬱陵島に付属する島は観音島で、それ以外には人が暮らす島は無い。ということは、勅令41号の石島は今の観音島だったと言える。それでも韓国政府や学者たちは「石島は独島だ」と主張している。一種の自家撞着だと考える。
 独島固有領土説によると、独島は久しい以前から于山島と呼ばれてきた。その于山島が1899年と1900年のの間に突然、石島と名前を変えた、と言うのである。私はこのような主張にどうにも納得できない。今まで説明してきたように、于山島は地図ごとにさ迷う島だった。1882年には「于山島を探せ」という王令まで下された。しかし探せなかった。ついに1900年、大韓帝国はその于山島放棄した。つまり大韓帝国は、1900年まで独島を知らなかった。それなのに、その年新たに現れた石島を独島と主張するのだ。そうであるならば、なぜ于山島を捨てたのだろうか。だから自家撞着というのだ。
 
* 映画でも同じようなもの、まるで幻想ファンタジーが何度も繰り返されるとそれらは現実に変化する、典型ではなかろうか。それではそうしたことは何処の国にも起こり得ることなのだろうか?朝鮮半島にはそこに広範に信じられている種族主義的なトーテイズムが後押していると思われる。誰かに指摘されても今更変えられないところが「自家撞着」というのであろう。
 

 












 


三日ぶりにプリウスに乗り込もうとしたときに事態発生。
手持ちのスマートキーを押してもウンともスンとも反応せず。
本日は久しぶりの外出、時間限定では無かったものの、出鼻を挫かれた気分。
キーを押しても反応しない場合、大概は携帯(スマホ)とポケット内で接触したり。
それが原因で無線が混信することが過去何度があった。
ので、その時点ではまだまだ気分的に余裕があった。
しかし、何度方向を変えたり、スマートキーを弄り回しても、寝たまま。
それで、ようやく、バッテリー揚りを確信できた。
スマートキーから鍵部分を抜き出し、鍵穴に差し込み、漸く開錠に成功。
運転席に腰掛け、いつもの手順で発進しようとするも・・・・・。
パネル内は真っ暗、どのマークも点灯せず、ブレーキも重く、もちろんハンドルも堅い。
自分では対応できない事態。
先ずは来月車検予約している〇〇〇モンキーという市内大手の車屋さんへ電話。
バッテリー揚りの対処を相談。
すると、任意保険に付帯しているロードサービスを利用するのが安上がりだと。
で、保険先の国民共済COOPに電話。
すると、提携先のロードサービスへ連絡をとってくれて、四十分後に現地に到着予定だと。
その通りに午前11時半に動かぬプリウスを診断、直ぐに一時的な処理をしてエンジン稼働。
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サービスマンはあくまでも応急処置なので、車屋さんで診断するなりするようにと。

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診断結果表が上のシートである。

恐る恐るここから10km先の車屋さんへ向かうことに。
路上で停止して交通障害を起こすことを極端に恐れていたのだ。
正午、車屋さんに到着して即バッテリー診断。
劣化程度が激しく、要交換の診断結果だ。
選択肢は他にないので、意外に高額ではあったが、交換依頼へ流れる。
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交換作業中、ピットにてただのコーヒーを頂く。
三十分後にはそれも完了、その後は買物などに不安なく使用出来た。
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交換作業は窓越しに始終を観察できる。

 我が愛車プリウス、実はもう四年を経て実走行距離は8万kmになるのだ。その間、全く手間のかからぬ良い子であったのだ。当然ながらバッテリートラブルは皆無だった。ハイブリッド車だからか、意外にもバッテリーの持ちが良いということが分かった。普通なら、4万kmぐらいが交換時期であるからだ。今回はもうその時期が来たということだろう。バッテリーは鉛電池である。しかし、ハイブリッド車では当然駆動用のリチウムイオン電池がメインである。これは交換となるとネット検索してみると大体二十万円ぐらいになりそうである。もう来年ぐらいには二十万km越えは間違いない。このリチウムイオン電池の耐久性がどれほどになるのか、当たり外れはあるようだが、この二十万kmがひとつの指標となるらしい。鉛電池と違い、突然停止となることはなそうなので、少しは気が休まるのであるが、交換費用のことは念頭は離れそうにない。












































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