Aminのつれづれなる日記

来し方を振り返りながら日々思うがままに綴る。国内外の旅行、時事問題なども含めて独善的感想も差し挟んでみた。

2018年04月

今日の行程は途中でフェリー航路も挟み、時間的にそうとう厳しいものがあることは承知していたつもりであったが、16時間にも及びことになろうとは、ちょっと想定外の延長戦であった。
午前六時前に三輪タクシーが迎えに来てくれた。レガスピ滞在中、フィリピン滞在中で初めての降雨の朝であった。レガスピ街中にあるマイクロバスの溜まり場まで15分ほど、そこで三日間お世話になった運転手と別れ、マイクロバスはそこから60kmほどのソルソゴンという街まで行きタクロバン行きのバスに乗るはずじゃなかったのか??そこでジープニーの運転手や車掌らが言うにはここじゃない、郊外まで行かねばならないと。三輪タクシーを直ぐに呼び止め、そこまで30分ぐらい、そこにはタクロバン行きのバスは出ていないらしい、再び三輪タクシーに乗り、元のジープニーの溜まり場へ戻り、そのジープニーでソルソゴン郊外まで行くということらしい。料金も100ペソ=200円ぐらいで格安、しかしそのジープニーがいつまで経ってもそれらしきところで止まらない。とうとう、ルソン島最南端の街マトノグまで客を乗せたり降ろしたりしながら65kmを走り通した。さて、面倒くさい手続を経てフェリーに乗り込んだものの、なかなか出航しない、サマール島の最北端部のアレンという港まで航路は25kmぐらいである。フェリーは大変な混み具合、この様を見てインドネシアのフェリーを思い出した。一時間半ほどの航行でようやく入港だ。キャリーバックを上のデッキまで上げてたので、降りるのが最後になってしまった。悪い予感がしたが、その通りとなった。港から出るタクロバン行きのバスがまさに出発するところであった。船会社の職員がそれを呼び止め空席を確認するも満席だとぉ~~。万事休す、この時点で午後一時半ごろ、タクロバンまでまだ250km余りあることから、レガスピ到着と同じように午後遅くなるのは間違いない。地元の青年たちがどうしたら良いのか教えてくれるものの、どうも直通バスがないようで、ミニバスを乗り継ぐことになる、そう理解した。結局は三回の乗り継ぎとなった。アレンまで港から三輪タクシーで10分移動、そこで最初のミニバスを待った。30分ほどで乗り込み終点はカルバグヨという小規模な町である。70kmぐらいを一時間半掛けて走破。そこで下車、次の町カトバロバンまで80kmぐらい、一時間半で走破。この時点で日没、行程の途中でスコールに何度か襲われた。ミニバスはトヨタのハイエース、エンジン快調で満員(20名)満載でも坂道での加速も素晴らしい。カトバロバンでも30分ほど待機してようやくタクロバン行きのミニバス、今度はニッサンのNVシリーズであった。タクロバン到着が午後九時過ぎ、街の中心地で全員が下車。
MAPSMEというGPSナビで所在が常に確認できるので不安感はない。ホテルから数百mであった。普通ならキャリーバッグを押して行けるぐらいの距離であるが、夜道でもあり、無理しない、直ぐに三輪タクシーが来たので行先を示すと走り出した。少し大回りをして5分後にはホテル前に到着、午後十時丁度であった。ホテルの予約のことでは少し不安を抱えていた。BOOKING.COMというサイトでレガスピ滞在中に予約を入れていたのだが、23日からの予約をしていたらしく、その日がNOSHOWと言うことになってサイトから警告を受けていたのである。三泊の予定がすべて強制的にキャンセルという場合もあり得たので、戦々恐々と受付で断りをして、何とか事なきを得たのである。
さて、フィリピン国内での移動手段について少し感想を書いてみようと思う。
地方の都市と都市を結ぶのはジープニーやミニバスであるが、非常に運賃も安く便数も多数で一般的なようだ。車を使うタクシーもあるものの、どうもイマイチ信用、信頼性に乏しく、特に外国人には使い勝手の面倒な手段である。市内の近距離で幅を効かせているのが三輪タクシー(トライシクル)である。これは100ccぐらいのオートバイの横に乗用のホロのある座席を設けたもので、乗り心地は粗悪な路面を拾うので長い距離を乗るには不向きである。料金は交渉するのであるが、いずれにして極安である。幹線沿道にこの三輪タクシーが途切れることはなく、日常の庶民の足でもあるようだ。ただ、速度が遅く、どうしても舗装面の中ほどを走るために、中高速のバスや乗用車の走行の障害になっているのは否めない。つまり渋滞の大きな原因でもあるようだ。三輪タクシーのスタイルも地方地方によって独特なスタイルがあり、これも見てて面白く感じた。


脚の痺れが昂じており、昨日約束した本日午前十時からの三輪タクシーの市内観光をそれを理由にキャンセルしようかと思ったりしたが、結局は思いとどまった。その前に、新しい受付嬢が居たのでパソコンのFIFIの接続不可の修理をお願いしようとしていたところ、運転車が来たのでタイミングを失ったということである。もしパソコンが回復していたのであれば市内観光はキャンセルしたはずである。「約束」というものが自分の身を拘束していたのは間違いない。三輪タクシーへの乗車下車には苦労する。今朝の場合も何とか一人で乗り込んだものの、ホテル付近でことに成り行きを見ていた者たちは怪訝そうな顔をしていたように思えたのだが。最初に目指したのは「SUMLANG LAKE」という火山の溶岩流が川を堰き止めてできた小ぶりな淡水湖であった。日曜日ということもあり、家族連れ観光客がそこそこ見れれた。自撮り棒を使ってマヨン火山を背景にして撮影するものも多い。幹線道路から少し入り込んだところにあるこの観光地、入場料が要るのが不思議なくらい、これというイベントもないのに。か細い道路は交互一方通行である。幹線にでてから市内方面へはほとんど下りである。ガタガタの三輪タクシーが時折クラッチを切るとツーサイクルの100ccエンジンが休息し、しばしの静寂が訪れる。三輪タクシーが通行するのは本来なら本線ではなく路側を通行すべきなんだろうけど、道路状態がどうしても悪いので本姓側を通ることになり、それが渋滞を招く大きな原因であるようだ。三輪タクシーの座席は二人掛け、腰を屈めて乗り込むのであるが、走行中もほとんどクッションが効いてないので、背骨を尾てい骨から突き上げられる、アスファルト舗装面よりコンクリート舗装面での凸凹が酷くどのように施工すればこのような出来になるんだろう?それほど走行中は過酷な環境にある。更に、鉄道線路を跨ぐ踏切みたいなものが何か所かあり、むろん、鉄道が利用されているとは思われない、その段差がそのまま放置されているのだから、左右に上下に、三輪タクシーは大揺れである。また、住宅地の路地にはカマボコ型の障害物が設置されており、それを超えるには極端に速度を緩めることになる。むろん、それが目的ではあるのだけど、どうにも解せないものである。

運転手とのコミュは8割ぐらいは不通であり、何とか港へ行くようにと話したら理解されて人口が百万にもなるというレガスピの港で駐車し、付近の施設を散策、すでに午前十一時半、暑さがジワリジワリと押し寄せてくる感じだ。港は港湾施設を拡張中でディーゼルハンマーの甲高い槌音が響いていた。近隣の小島への住民サービス用の特徴ある胴長船が数隻係留されて、そのうちの一隻が航跡を残して出航するのも見えた。ここまで飲料は口にしていない、口は干乾びたように、粘つき早めの昼ご飯とすることにしたが、これも意思疎通が儘ならず、市街地のファミレスみたいなところ、満席で二階へ行かされ、タガログ風の焼き鳥とご飯とシンプルのもので済ませた。飛び散る油やタレが気になり、美味しく頂けることはなかった。日曜日のファミレスなんてどうしてこんなところに案内したんだろうと少し不快でもあった。その後は運転手は待機してもらい、30分ほど市場周辺を歩いてみた。観光地を訪れるというのが普通の旅のスタイルかもしれない、運転手もそうした思いを汲んでくれて案内をしてくれるものの、お気に召さないのである。市内を見渡せる小高い丘にある高級ホテルへの坂路を昇り、しばしの休憩、暑さは気のせいか少しだけ和らいだかな。さて、ここから帰路へと指示、途中でコンビニで買い物と果物マンゴーを四個、緩やかな上り坂の連続、三輪タクシーの心臓の鼓動が今にも切れそうになる。午後三時少し前にホテル到着だ。運転手とは明後日午前六時にホテル前で待ち合わせ、市内のダラガという乗場から出るというバンでソルソゴンへ行く送りを約束しているからだ。
*写真はアップロード速度が遅すぎるため後日編集することにした。

レガスピ滞在初日 疲れが残り、起床が遅くなり過ぎたかもしれない。午前十時を回っていた、朝日に映えるはずの「マヨン火山」を拝めることにはならなかったが、滞在が丸四日間もあるのでという気持ちがあったからだろう。ホテルには食堂がなく、仕方無く、ホテル付近を散策だ。ほぼ快晴の中、真の円錐形の「マヨン火山」が直ぐ近くにデンと鎮座しているのが見えた瞬間、来てよかった、そう思えたほど見事な姿であった。幹線道路沿いにホテルはあって、マップで想像していたようなロケーションでなく、騒々しく行き交う乗用車、バスやバイクなど多く道路を横断しての散策を避け、わずか200mぐらいの範囲で角度を少しだけ変えてのマヨン火山に威容の撮影を続けた。午前中の風は不快なほど暑さを感じることなく、昼過ぎまで心置きなく撮影に専念(というほどでもないが)した。午後一時半には昨日の三輪タクシーが市内の中心部まで案内してもらう約束であったので支度をして受付に出向くと彼はすでに待ってくれていた。この乗り物への乗り降りが一苦労、健常者ならなんでもないことではあるが、運転車に介助してもらいながら、毎度ながらにヨイコラショと乗り込む羽目になる。最初の案内先は長距離バス乗場である。三日後のタクロバン行きのバスを確認したかったからだ。運転手との会話はとてもぎこちなく、かれはほぼタガログ語だけ、こちらは全く受け付けず、拙い英語だけで意思疎通することの危険さは何度もあったが、人の好さそうな48歳のオヤジさん、レガスピ滞在中の足として、信頼して利用したいと思った。バス乗場ではタクロバン行きは直行便がなさそうで、途中のソルソゴンという街で乗り換えになるらしい。これもガセネタの可能性もありそうで、もっと詳細に調べないといけなさそうだ。この後、乗場からほど近い大型ショッピングセンターへ行き、暑さの盛りでもあり、運転手と今後の自分の予定を話し(といってもほとんど通じないので手帳に書きながらではある)ながら小一時間ほど過ごした。同じ店内にある携帯電話を扱う店でSIMカードの購入に一時間ほど、1000ペソでひと月間、いちにち容量制限が1GBというカードである。店内ではあまり速度が出てないようであったが、屋外ではまあまあの性能を示してくれたのでこれもよしとした。帰路に就くも余りの酷道ぶりに背中も腰も酷く痛み出し、この三輪タクシーでマヨン火山巡りをするなど体力も三輪タクシーの性能でもまず無理だということがハッキリした。ホテルのごく近くに「Cagsawa Ruins Park」という著名な観光地があるというので運転者がわざわざ案内してくれた。ここは1814年のマヨン火山の大噴火で破壊されたという遺跡である。土曜日でもあり、多くの観光客が目的の火山をバックにカメラに収める姿が目立ったけど、あまりこういう観光地には好んで行くところではなさそうである。ホテルに戻ったのは午後五時前、再び日差しがすっかり傾いたマヨン火山の姿を収めるべく朝と同じように付近をうろついた。ところで、スマホもタブレットもWi-Fiは設定できているのに、ノートパソコンだけが働かない、ホテルの受付に頼むも日本語仕様なのでお手上げらしい。じっくりと自分で取り組んでみようかと思う。スマホで調べる限りはノートパソコン内部に溜まった静電気が悪影響しているのではないか、とあったので、パソコン内部の電源を完全に落として明日にでも対応してみることにした。ところで、足の痺れがなっているのが実感され、この先の旅に大きな不安となっている。
*写真はアップロード速度が遅すぎるため後日編集することにした。

高松駅BT発04時25分、関西国際空港着07時57分。ここまでは何度も体験済み、第一ターミナルに「フィリピン航空」のチェックインカウンターがあるが、直ぐに行ったのにすでに長蛇の列。むろん列の最後尾に並ぶも、腹の調子がおかしくなり、正直我慢の限界を感じた。昨日服用の下剤の効果が肝心カナメのこんな時に現れるとは・・・。ひとり旅の時、キャリーバッグを持ったままトイレに駆け込むと用をたした後ではまた列に並び直すことになるが、直ぐ後ろの青年にお願いすると二つ返事。ほんの十分ぐらいと言ってから帰るまで十五分余り、彼は自分のバッグを押して随分と先まで行ってくれてたのを見た時には心底お礼の気持ちが出てきた。因みに彼は一見駆け出しの教師風だったが、聞いてみるとどうも商社マンらしい、むろんマニラに社用で出張するとのことだった。この青年を見てふと、深田祐介氏の「炎熱商人」を思い出した。
フィリピン航空PR407便は定刻09時55分より15分も早くテイクオフした。折角わざわざ窓際の好位置を指定したものの、視界は最悪であった。また、進行方向が南南西であったので雲海を突き抜けてからは全く逆光となり、到着するまでシャッターチャンスが無いも同然であった。マニラ、ニノイ・アキノ国際空港は逆説的にも何し負う悪名轟く空港の一つであるとの噂があったので、多少は身構えたのであるが、ほぼ空振り。入国審査も簡単に終わり、さて、ターンテーブルの荷物を受け取ろうとするも一向にバッグが見えない、痺れを切らして、一旦外へ出て出金のためにATMへ。そこで入れたカードが飲み込まれたまま出てこない。万事休す、近くの空港職員に助けを求めたら、機器の直ぐ後ろにある銀行まで案内され、事情を話して(ほとんど手真似であるが)事なきを得た。入国審査が終わってすでに一時間半、ようやくターンテーブルに乗った自分のバッグを発見、フッー。。。
空港に屯するタクシーに要注意、これは何度も聞かされていた言葉。警備職員に何度も勧誘されるのであるが(タバコ代をせびられる、陽気に)タクシークーポンというのがあり、事前に精算を済ませるというシステムを見つけ、直ぐに支払いを済ませて、ほぼリーズナブルな料金(距離数キロ、時間は常習的な渋滞ため30分余り掛かって900円ぐらい)で事前予約のSホテルに到着した。Googlemapのストリートビューで調査済みだったので、ホテル六階の小さな窓からの景色はそのままの姿が広がっていた。ホテルはパサイという地区にあり、周辺は地方へのバスステーションが軒を並べているような混沌雑然とした正しくカオスの風情である。ホテル階下の食堂で粗末な夕食を摂った後、一時間ほど帳の降りた雑踏を散策ついでに、長距離バス乗場へも足を入れてみたが、物凄い混雑、老若男女入り乱れて、夜行の大型バスの出発を待っている、少しだけ、不安が頭を過ったのは間違いない。明日はそのバス情報を詳細に収集し、チケットも購入するつもりである。20日発、レガスピ行きである。
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LCCのエア・アジアカウンター前、相変わらず混んでる。
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フィリピン航空PH407便、A330-300、ボーディングブリッジから見る。
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搭乗直後、背もたれのディスプレイ、期待外れだった。中東湾岸キャリアに遠く及ばない。
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安全のしおり。
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ウィングレット、機種により様々だ。
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ゆっくりと、最後に立ち上がり名残惜しんだ。急いでも、立ちっぱなしの時間が長くなるだけ。
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フィリピン独特のジープニー、この車は「神の祝福号」と背後に大きく宣伝している。タタクシー車内から撮った。

小生は遅ればせながらも愛車に「ドライブレコーダー」を取り付けて、常時運転中の視界を記録している。初めて自分の運転を客観的に見る事ができたことに感動したりしたものである。二年ぐらい前には生涯初めての人身事故を起こす羽目になったのであるが、この時の様子も図らずもこの機器に記録されていたことに驚いた(当たり前のことであるが)。高齢のご婦人が突然右の視界に現れて、運転席側のドアミラー付近に衝突し、ドスンと大きな音がして、初めてそれに気付いたのである。自分の完全なる不注意であったことが、小さなMSDカードに記録されており、弁解の余地(つもりはないけど)は全くなかったことが証明されていたのであった。原因は小生の運転が若いころと比べて明らかに劣化していることにあると思っている。この決定的瞬間を捉えていた「ドラレコ」もAIの一種と言えなくもない。

これからの世の中、超高齢化に向かい、否、すでにその域に突入しているのであろうが、自動車を日常の足として不可欠なお年寄りがまだまだ田舎や地方都市には五万といるはずで、彼らの運転する車に起因する交通事故を防ぐためにも、今後は「AI」に補助的に頼るだけでなく、全面的に依存するシステムの波及が加速度的に進むと言われている。ブレーキとアクセルの踏み間違い、高速道路の逆走、突然の病魔など高齢者特有の現象を防ぐ手立てとしての「AI」の活用は利点だけでもなさそうである。近年、大手自動車メーカーを中心にして「自動運転車」の公道での試験が盛んに報道されているようだが、先日は米国での実験中に死亡事故を起こしてしまったとのことで、大騒ぎとなり、実験は一時中止を余儀なくされている。それでは被害者は一体誰に責任を問うことになるのだろうか?事故の検分に立ち会う運転者が存在してないわけで、警察も処理をどのようにすることになったのか?また、交通事故保険のことも気になる。まだまだ技術面だけが先行して、社会的コンセンサス、法的な整備が付いて行ってないのが現状のようである。
自動運転1
自動運転のレベルは①走る②曲がる③止まるの基本動作で決まることになる。
レベル0=人間か①、②、③すべてに関与する場合。
レベル1=①、②、③の内一つでも自動化されている場合。
レベル2=①、②、③の内二つが自動化されている場合。
レベル3=①、②、③のすべてが自動化されている場合、ただし、システムが要請したときに人間が対応するのが条件である。
レベル4=人間が全く関与しない場合。前述の死亡事故はこのレベルで起きたものである。

社会のインフラに「AI」がどんどん活用されるようになると、随分と個人の生活は窮屈なものになってしまいそうである。戸外を一歩でも出ると監視カメラが24時間稼働し、行動を逐一捉え記録しているのである。事を起こさずとも、そうした記録は積み重なり、瞬時に個人が特定されてしまう、国家だけでなく、企業においても同じことが起こりそうである。高齢者も必要不可欠な車ので外出となると、AI装備の高価な車を購入せねばならなくなりそうで「安全・安心」の世界が如何に高いものにつくのか、痛感することになりそうである。どれほど選択肢の少ない未来が来るのかと思うと、どこか寂しいものを感じるのは自分だけであろうか・・・・。




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