小生、1960年代の初めころまで、つまり小学生の時代までは、朝の主食はやはり、ご飯であった。それでも、東京オリンピックが開催されたころには時おりではあるが、食パンが食卓に並ぶことがあった。当然、トースターという便利な機器があるわけでなく、この食パンという新参者はそれはそれは大切に取り扱われ、なんとこれを「七輪」の上に餅網を敷き、焦げ目をつけていたことを思い出す。食卓に載る時には、それらは丸々ということはなく、たいがい、二つに包丁を入れられていた。今、それを食すときに何をつけていたのかを思いだせない。マーガリンやバターなど果たして販売されていたのかどうか、それさえあやふやである。ただ、母親が近所の八百屋から、少し遠くはなるものの、小さなスーパーみたいな便利なものができたと、徒歩で買物籠を下げて毎日のように買い出しに出かけていたのを思い出す。
我ら「団塊の世代」は成長期に至るまでほとんど「食」に対して、戦後に成長期を迎えた面々と比較して拘りがないのではないか。彼ら戦中派の者のトラウマは「芋つる」「南京カボチャ」である者が多い。食糧調達の困難さは都会生活者よりむしろ、田舎で暮らすものの方が困窮していたのかもしれない。自給自足では自ずと調達できる食料品に限りがあったからかもしれない。
さて、「飽食の時代」となり、今や、余程の怠け者でない限り、口に入れるものに窮することは先ずないはずである。しかしながら、可処分所得は頭打ちから、下がり気味となり、年金生活となると、エンゲル係数はじわりじわりと上がっているのが実情ではなかろうか。小生、根っからの「ケチ」を自称しているものであるだけに「お得感」には非常に感性が働き、車を走らせても、四方八方に目を凝らし、タダ走りはしていないつもりである。ガソリンなど生活に密着している必需品にはとりわけ集中しているのである。そこに日々消費する食品には大きな穴が開いていたことを思い知らされてくれたのが「業〇スーパー(仮称)」という本社が兵庫県にある「神〇物産(仮称)」という製造販売一体企業である。〇〇に当てはまるのは「業〇」というので、一般客には気が引けるかもしれないが、大半の入店者は味を占めた、つまり、恐らくこっそりと買い得感満載に惹かれたものではないかと推定できるのである。箱積みにしたり、店内のディスプレイは少々ダサいかもしれないが、目的さえしっかりと捉えているなら、それほど気にすることは無い。とにかく、パン、菓子、冷凍品、自社ブランド品も多いのであるが、大半はいわゆる日本の代表的な食品メーカー品ばかりである。さすがに、生鮮野菜は品揃えでは劣ることは否めない。可処分所得の配分に多くを割けない、育ち、食べ盛りの子供を多く抱える家庭の財務を与かる主婦には大きな味方になること請け合いであろう。華やかさに欠けるかもしれないし、店名ももう少し何とかすれば、必ずさらなる勝機があると思うのである。
どうも、「〇務」が一般客からは遠慮があるのかもしれない。小さめに「一般のお客様も大歓迎」と書かれているが。。
好みの「マーマレード」770gの瓶詰め、ブルガリア産である。日本の某メーカーの半額。味も決して劣ることはない。ヨーグルトだけじゃない、ブルガリア。。
ブルガリア産を示す。国旗は三色、上が白、真ん中が濃い緑、下が赤、初めて知った。大相撲の大関まで出世した「琴欧州関」、今も角界で「鳴門親方」として活躍、彼のブログをあの市川海老蔵さんが褒めまくっているようだ。