Aminのつれづれなる日記

来し方を振り返りながら日々思うがままに綴る。国内外の旅行、時事問題なども含めて独善的感想も差し挟んでみた。

2015年08月

https://goo.gl/maps/55Ow9

沸騰アジアを実感できるインドシナの国々。

飽くなき欲望はなぜこれほどの格差を生んでしまったのか?

今の生活、明日の生活にも行き詰った人々が片方に居る、一方BMWの高級車が走り回るという現実。

歓楽街は週末だけでなく、週日でも深夜まで喧噪が渦巻く。

一見、インフラは整備され、ふた昔前には想像できないほどの高度な経済が展開されている。

東南アジア諸国に限らず、いわゆる途上国のライフスタイルは自分のイメージとはあまりにもかけ離れ、

普通のおっさんもおばさんも「携帯・スマホ」を操る世界が現実に存在する。

若者たちは当然のごとくネットとは緊密な世界で結ばれており、驚くほどの情報量が頭脳に詰め込まれ、

ネットとは縁遠い老人たちの行き場を塞いでいるがごとくだ。

バンコクでもラオス、ベトナムでも一旦裏通りに入れば、昔ながらの生活臭の漂う光景を見られるのだが、

屋根上にはパラボラアンテナ、電柱には驚くほどの通信線が巻き付かれ、懐古的な感傷は直ぐに

打ち砕かれる。

現実の東南アジアの生活には固定電話のスタイルを一挙に通り越し、携帯の世界が訪れ、どうしても違和感

がつきまとう。急展開な経済発展がもともとの格差を一挙に拡大させているのは間違いなさそうだ。

時流にのった者が勝者となり、乗り遅れ、乗り損ねたら敗者となる、厳しい現実がある。

どこかに「勘違い」があるはずで、操る仮想世界に耽れば耽るほど、その勘違いに気付くことになるはず。

地道な発展を遂げるのではなく、電波という通信媒体は手にすることのできない、バーチャルな世界であり、

いくらSMSで情報交換しようとも、それはそれで、仮想な世界、それに多くの青年たちが気づく時が

遅かれ早かれ訪れることになる。

東南アジアの一見浮かれた世界を見るにつけ、気になった、いちオヤジの戯言であってほしのだが・・・・。

DSCN6051
タイ、マレーシア国境近くの「ハートヤーイ」市街地の電柱の有り様。電力線と通信線が・・・・。
DSCN6996
ベトナム、ホーチミン市街地での光景。おっさんは仕事をサボってる?随分熱中してた。
DSCN6995
同上、このオヤジさんもスマホ?携帯を操るってわけだ。
街なかでは、昔のように、ボケッーとしてる輩は存在しないってこと。




バンコクのモーチットのバスターミナルまでは夕刻4時半にカオサン近くのゲストハウスからメーター付きのタクシーにてたどり着いた。切符はすでに現地旅行社を通じて購入済だ。
午後8時発まで、大きなターミナルの中で所在なくすごすわけだが、すでにこのターミナルの中はタイの辺境からの異民族が垣間見られ、興味津々。
ずっと前に旅行といえば、オンボロな屋根に荷物を山と積み上げ、ノロリノロリのイメージだったが、今回のバスも三回目だが、全てが二階建、ダブルデッカーの豪華さを誇るものばかりだ。多少の不満はあるものの、スマトラのそれとは比較にならない。なによりも、車内へ流す音楽がほとんどなく、ひそひそ話がときおり聞こえるだけだ。交通マナーも驚くほど整然としており、クラクションの騒音もわずかに聞いただけだ。
バスターミナルの待ち時間、隣りに座ったタイ人女性は会話を交わすと、パタヤ出身の教師とのこと。
せわしなく、スマホに見入っている一方、日本人としてのわれらにも興味津々の様子だった。行き先が違うのか、席を立ってもまだ彼女は座したままだった。
闇夜のアジアハイウエーを北上する。
https://goo.gl/maps/2qghu
タイランドが如何に開発されているのかは、車窓から流れる延々と続く街明かりや工場群で実感される。ヴィエンチャンまでの行程の半分近くはこのような風景が闇夜の中ではあったが見られたのだ。
国境は午前6時を過ぎてから開くようで、雨のそぼ降る景色を見ながらその時を待った。
意外と簡単で、入国カードの記入だけ、再びメコン川を越えて十数キロ先のヴィエンチャンのバスターミナルに到着したのは、午前8時ぐらいだった。
タイとは大きく景色が異なることに気づく。舗装が途切れがちな大きなターミナルには荷物を運ぼうとする車夫やら三輪タクシーがあふれ、その喧噪の中で、ベンチで夜を明かしたような連中も見られた。
熱いカフェオレでもと思うも言葉が全然通じない。ラオスはホテルなどよほどの環境がそろわない限りは通話は成り立たない。ネットで調査済みのゲストハウスのチェックインは午前11時からということで、日差しのきつかった屋外のテラスで遅い朝食を摂った。
ラオスなどインドシナは旧フランス植民地であった影響が色濃く残されており、食文化にも、特にバゲットという香ばしい焼きたてパンは絶品である上、驚異的な低価格だ。
通貨について、単位は「キープ」で、1000キープが5円ぐらい。硬貨は見られず、全てがお札である。大は百万キープというから5,000円ほどである。物を買うには事前の準備が要り、三輪タクシーの運ちゃんなどに捲し立てられると、もうわけが分からないままに支払う羽目になること間違いない。(続く)

DSCN6674
タイもマレーシアも車両は左側通行、日本と同じ。しかしラオスでは右側通行となる。運転席は左側である。この大型バス、豪華そうでも中身は相当くたびれてた、因みに窓側座席の窓枠から雨だれが・・・・。足元のリュックはしっとり水分を吸収し変色してた。また、この車両はラオスのナンバープレートだった。


https://goo.gl/maps/7I9Iq
旅はつれづれとはいうものの、やはりご老体には堪えますから。ヘタレと言われても、予定なんかに縛られるのはまっぴらごめんとばかりに、大きくコースを変更するはめに。
「バスの旅」の振り出しはマレーシアのクアラルンプールから国境を越えてタイのハートヤーイ(面白い名前でしょ)という60Kmほどの大きな町まで、八時間ほどの初めての長旅。ダブルデッカーの大型バス、想定外の快適なマレーシアの高速道路を駆け抜けるも、車内の一階階段付近にあるWCはさすがに不便、よって、途中の休憩所で用を足すことになるわけだが、バスが何時発車するのか分からず、食事することもままならず、とうとう国境の通関を終えてしまうという前代未聞(??)な道中となった。
さて、ハートヤーイの大きなバス乗場に着くと同時に想定どおり蜜に群がる蟻のごとく大勢の客引きが出現することになった。目星をつけて、ある人のよさそうな運ちゃんに市内の安宿の紹介を頼むと、当然のように即答、三輪タクシーは喧噪をあとに走り出す。安宿は凡そ二人で二千円ぐらいだ。一応水洗トイレ、温水シャワー、二つのベッド。そこには二日の連泊だ。初日はわけのわからないまま、二日目はバスの手配など、直ぐに時は経つのだ。
次は、ハートヤーイからバンコクを目指す。行程は650Kmほどか。午前9時過ぎのバス乗場にはこれまたダブルデッカーの大型バスだ。座席指定では四列シートながら、最前列の最高のポジションにテンション上がりパなしだ。
タイとマレーシアの道路事情は大きく異なる。高速道路とはいえタイでは無料区間がほとんど、マレー半島を北上するにつれ、次第に交通量が増し、この国の熱気がムンムンと肌で感じさせられる。タイでは仏教と回教の宗教間の紛争が南部地域で頻発しているとのことだったが、意外にもモスクの付近に寺院があったり、ヒジャブ姿の女性が散策しているのが当たり前のように見受けられた。
バンコクでの「爆発事件」が報じられており、検問などが懸念されたものの、一度も出会うことなく、深夜近くに大都市バンコク近郊のモーチット(モーチョットではない)バスターミナルに疲労困憊の哀れな姿にて到着。14時間を超えるのだから、エコノミー症候群に見舞われなかっただけでも、有難いのかも。
安宿の主は多分中国人、愛想はいいものの、どうもいただけない。時間も遅いので、とりあえず了解して投宿だ。自分らがどこに居るのかも分からないまま、朝を迎えた。安宿の前で声掛けタクシーの運ちゃんに筋書どおりに誘いをかけられるも、やせ我慢トボトボと歩をすすめるも、限界に近く、オヤジさんに乗せられ、繁華街として有名な「カオサン通り」のゲストハウスに移動した。ここら付近はバックパッカーの聖地でもあり、ご老体には不向きな一面もあったが、選択肢はない。三日間をバンコクで過ごすことになった。
「水上マーケット」は二人で貸し切り状態、爆発事件が尾を引いているのか、強引なほどの客引きであった。カオサン付近の半径たった2Kmぐらいの範囲をあちこちとうろつくのだが、午後3時を過ぎるころに観光するのは外人ぐらいだろ。それでも、市場を二か所トクトクや本物のタクシーを利用しながら、我ながらよく歩けたものと、自分で自分をほめたいぐらいだ←どこかで聞いたような文句だな。(続く)

DSCN6286
トクトク三輪タクシーのバックミラーに映る運転手、気のいい男だった。
DSCN6316
市場は広大でとても、見切れない.大きなSM内には地元色豊かな食材が並んでる。
DSCN6370
路端の歩道で遊ぶ少年。夏休みはない。




8月18日現在で、不明機の捜索は完了し、捜索隊が墜落現場に到着し、乗員乗客54名全員の死亡を確認したようだ。目的地の「オクシビル」から10kmほどの山中に激突した模様だ。墜落原因など詳細はまだ判明していないとのことだ。悪条件の中での原因究明には数カ月、一年以上の時間を要するはずだ。

インドネシアのパプア州はインドネシアでも辺境の地域でもあり、日本人旅行者はよほどのことがない限り足を踏み入れることのない所のようだ。ブログ検索をしてみると、同郷の高齢者(失礼)がジャワ島のスラバヤから国営船舶公社(PELNI)の二等を利用して数日をかけてジャヤプラまで行き、更に南西方向の奥地に分け入り、原住民との交流があったとの記事を見つけたから、この航空機事故については、少なからず気にとめていたのである。インドネシアは二万にも近い大小の島々からなり、東西には五千kmもの広がりを見せている。パプア州はその東端に位置し、隣国のパプアニューギニア国境付近にはインドネシア国軍が常駐しており、過去には直線的に引かれた国境をまたぐ原住民との紛争が頻発していたようでもあり、とくに外国人への検閲は厳しいものがあると記されていたことを思い出した。
このような辺境では、道路の整備はほとんどされていないか、されていないも同然の状態であり、「トリガナ航空」のような小さな航空会社は住民移動の不可欠な手段でもあるようだ。この航空会社以外にも島々を結ぶ数多くの会社があり、不幸にもこのような事故が発生したのだが、十年単位では他の地域と比べても高い確率で事故が発生しているようだ。整備の不完全さ、貧弱な関係施設、常習的な過剰積載などなど移動手段としては必要不可欠にして、この有様だ。利用するにはそれなりの覚悟が要りそうである。

JNN NEWS映像より

ATR1
NNN NEWS映像より
ATR2
ANN NEWS映像より
ATR3

2015/8/18
北からの寒気団と南の太平洋側からの暖気が交錯したのか、昨日の西東日本では各地で局地的な集中豪雨や突風が吹き荒れたみたいだ。
仕事上、四国フェリーを利用して土庄からの帰途、男木島沖を通過したころから、天空は暗黒色、天候が急変したのはその直後からだ。大粒の雨粒が船窓を叩きつけ、老朽化した一部の窓からは漏水も発生、船員らがてんやわんやでモップ掛けの様子が見られた。時折り、北西方向からの強風が吹き付け、海面は内海とは思えぬように泡立ち大荒れのようだ。
高松港が近くなってるはずなのに、一向に赤灯台が見えない。船は強風に流されつつあり、港外のいつもそばを通過する浮標を大きく逸れてようやくその赤灯台が目に入った。
大きな船体を狭い港内でどのように180度旋回させて埠頭に着岸させるのだろうか。岸壁の風見はほぼ水平に
流され、風の強さが尋常ではないことを示している。
さすがに定刻をすでに15分ぐらい過ぎている、繋船の準備をする船員たちはいつもの通りだ。落ち着いている。
このような事態にでも冷静に対応できるということは、経験上なせる業であろう。
高松土庄のフェリー航路に使用される船舶にはバウスラスターは設置されてないはずで、エンジン推力の前進後進の強弱とラダー角度の操作だけで見事に接岸し、後部乗降デッキを斜路に載せ置いたことには普通のこととはいえ、少しでも船の操船知識があれば緊張する場面であったことが想像できる。
訓練を重ね、場数をこなしたこのような要員たちがいてこそ、旅客の安全が担保されているのだ。「舟板一枚したは地獄」の世界、内海といえども、侮っては大事故に繋がるのだ。

2014年12月19日 土庄港の「第七しょうどしま丸」
四国フェリー


このページのトップヘ

いつもお読み下さりありがとうございます。異論反論あるかと思います。ぜひコメントお願いします。